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今日の給食(2月22日)


  本日は月曜日ごはんの日です。今日の献立は、ごはん、ブリのてりやき、カリフラワーとねぎのあっさりに、はくさい・なめこ・えのき・しいたけ・油あげ、だいこんの入ったきのこのみぞれじる、みつば・もやし・ハムののりあえでした。今日は特に具材が豊富で、大変おいしかったです。ごちそうさまでした。


【豆知識】
○2月22日は何の日?
 1.世界友情の日
 ボーイスカウト・ガールスカウトの創始者ベーデン・パウエル卿(B-P)夫妻の誕生日に因んで、1963年のボーイスカウト世界会議で制定し、1965年から実施。
2.猫の日
 英文学者の柳瀬尚紀氏らによる「猫の日制定委員会」が1987(昭和62)年に制定。ペットフード工業会が主催。「ニャン(2)ニャン(2)ニャン(2)」の語呂合せ。全国の愛猫家からの公募でこの日に決まった。
3.ヘッドホンの日
 ヘッドホンの情報サイト「ヘッドホンナビ」が制定。ヘッドホンが左右2チャンネルの出力を持っていることから、2が重なる日を記念日とした。
4.竹島の日 [島根県]
 2005年3月16日の島根県議会で記念日を定める条例を制定。1905(明治38)年のこの日、日本政府が日本海上の島・竹島を島根県の所管とする旨を公示した。

平養護学校版画作品


 現在、プレイモールに平養護学校版画作品が飾られてあります。すごい個性的な作品が一杯展示してあります。ぜひ見に来てください。

     

     

     

こんな冊子が!


 生徒昇降口正面「保護者控え室」に冊子「身体にハンディキャップのある子どもとその保護者のための情報冊子」(発行:はっぴぃスマイル)が置いてあります。興味のある保護者の方はぜひご覧ください。


シュシュの作品(2月17日)


  本日のシュシュの作品が届きました。きれいなお花のアレンジメント、それぞれの児童生徒が思い思いの花を入れ完成させました。今回はお花なので作品は児童生徒が持ち帰りましたので、紹介は1つの作品だけです。

今日の給食(2月19日)


  本日は金曜日めんの日です。今日の献立は、えびたっぷりのえびたまうどん、にんじん・きりぼしだいこん・こねぎ・しらたきのいりどうふ、ちんげんさい・コーンのアーモンド和え、ブルーベリーゼリーでした。えびたまうどんえびがたっぷりで本当においしかった。ごちそうさまでした。

今日の給食(2月18日)


  本日は木曜日ごはんの日です。今日の献立は、ごはん、キャベツ・きゅうり・にんじんのちゅうかツナサラダ、あさり・ワカメ・ネギ・コンブのみそしる、みかんでした。写真を見てどうですか。おいしそうでしょう。今回も食べれませんでした。残念!



 明日は「おいしいな」が登場する予定です。こうご期待!!

今日の給食(2月17日)


  本日は水曜日パンの日です。今日の献立は、チーズパン、フライドチキン、キャベツ・もやし・にんじんのザワークラウト、コーンポタージュ、ミニゼリーでした。彩りよくおいしそうです。食べたかったなー。残念!

目標達成!


 本校のホームページのアクセス数が217,000件を越え、一昨年4月より200,000件以上となりました。ホームページを見ていただいた方々のお陰と感謝申し上げます。今後もマメな更新を心掛けていきたいと思いますのでよろしくお願い申し上げます。

ひな祭り!


 3月3日(木)に向けてひな人形が、小学部入口に飾ってあります。立ち止まって見るのはやはり女の子、気になるんですね。



     

【豆知識】
○ひな祭りの歴史 
 ひな祭りの歴史は古く、その起源は平安時代中期(約1000年前)にまでさかのぼります。
  その頃の人々は、三月の初めの巳の日に、上巳(じょうし、じょうみ)の節句といって、無病息災を願う祓いの行事をしていました。陰陽師(おんみょうじ・占い師のこと)を呼んで天地の神に祈り、季節の食物を供え、また人形(ひとがた)に自分の災厄を托して海や川に流すのです。
  また、その頃、上流の少女たちの間では“ひいな遊び”というものが行われていました。ひいなとはお人形のことです。紙などで作った人形と、御殿や、身の回りの道具をまねた玩具で遊ぶもので、いまの“ままごと遊び”でしょう。このことは紫式部の『源氏物語』や、清少納言の『枕草子』にも見られます。
  長い月日の間に、こうした行事と遊びが重なり合って、現在のようなひな祭りとなりました。
  上巳の節句が三月三日に定まったのは、わが国では室町時代(約600年前)頃のことと思われます。しかし、この頃から安土・桃山時代にかけては、まだひな人形を飾って遊ぶ今のひな祭りとはかけはなれた、祓いの行事の日でした。この日が華やかな女性のお祭りとなるのは、戦国の世が終り、世の中が平和になった江戸時代からのことです。
  江戸初期の寛永6年(1629)、京都御所で盛大なひな祭りが催されました。この頃から、幕府の大奥でもひな祭りを行うようになり、やがてこの習慣は上流から町民へ、大都市から地方へと大きく広がっていったのです。
  そして江戸中期には、女性たちばかりでなく、女の赤ちゃん誕生を祝う初節句の風習も生まれて、ひな祭りはますます盛んとなりました。江戸市中には雛市(ひないち)が、日本橋十軒店(じゅっけんだな・いまの室町)や浅草茅町(かやちょう・いまの浅草橋)など各所に立って大変にぎわいました。またこの頃から附属のひな人形やひな道具の種類も多くなり、かなり贅沢なものが作られるようになりました。幕府はひな人形の華美を禁じるお触れを再三出しています。
  明治に入ると、新政府は従来の節句行事を廃止して新しく祝祭日を定めました。節句行事は一時衰えますが、しかし、長い間人々の生活に根を下ろした行事は簡単になくなるものではなく、やがて復活します。こうして上巳、端午、七夕など子どもに関係深いお節句は、いまも民間行事として盛んに行われています。 (人形辞典より)